三輪自動車の歴史(1)


はじめに
 オート三輪と呼ばれ、戦前から戦後にかけて隆盛を誇った国産三輪自動車は、少
ない資材、限られた工作機械により苦労のなかから生み出されたともいえる。その
存在意義について語るならば、4輪自動車よりもはるかに安価であり、荷台などの
大きさの割には小回りがきき、維持費も当初は2輪車との差がないなど、数多くの
利点を持っていた。わが国独特の道路事情であった舗装のないせまい道路でも、意
のままに、自由に走れたため、自動車業界で最高の保有台数を占めたこともあった。
農作業から個人商店まで多く愛用され、その後の物流時代を築くまで、国産三輪自
動車の隆盛ぶりは世界的にもめずらしく、技術レベルも最高のものに発展をみせた
のであった。
 時代の流れはやがて小型から軽三輪、軽4輪自動車、4輪キヤブオーバートラッ
クに移行してゆくわけだが、世界のトップレベルになってゆく2輪、4輪自動車を
みながら衰退していった三輪自動車が日本の経済発展に関与した事実も知っておく
べきであろう。


三輪自動車の歴史

トライサイクル3輪自転車の登場
 エンジンのない2輪車がこの世に出現した
のは、足で蹴って進む自転車の元祖として
知られる1818年登場のホビーホースといわ
れる。そして3輪自転車の登場はその1年後
で、「ホビーホース・トライサイクル」と呼ばれ
転倒防止のために誕生したといわれる。
 その後、蹴ることを脱して前輪部にペダルを
持ち、人力で走るボーンシェーカー型自転車
の出現は1865年であつた、同様のペダルつ
き3輪自転車は1869年製に出現したアメリカ
のピッカリングが最初と考えられる。もっとも
3輪自転車とはいっても車輪の大きなものや、
足こぎ方式が異なる変わり型も多くみられた
が、本書におけるリヤカー的三輪と同じ考え
のものは例が少ない。

キュニヨー、ベンツの三輪自動車
 ところが自転車の3輸出現よりはるか以前に、
世界初の自動車として有名なフランスのニコ
ラス・キュニヨーの蒸気自動車が1769年に出
現していた。その形態は、木製の大八車みた
いな木製車体の三輪トラック的スタイルで、
しかも前輪部に蒸気機関を駆動装置として
組み合わせていたことで注目できる。
 その後の3輪車の代表例は1885年に創ら
れたカール・ベンツ製モーターワーゲンで、
馬車的シヤシー後部に機関を持つ後玲駆動
で、馬をつなぐ部分にかじとり用のステアリン
グヘッドと簡易なフォークと前輪を追加したス
タイルだった。その後1886年にゴットリープ・
ダイムラー製4輪自動車が登場すると、自動
車の歴史は4輪車があたりまえになっていく
のである。

ド・デイオン・ブートンの3輪ガソリン車
 ベンツの3輪と異なる流れによるガソリンエンジンの
3輪車は、かつて存在したホビーホース時代の「トライ
サイクル」と名称もおなじで、1895年にフランスのアル
ベール・ド・デイオン伯爵がジョルジョ・ブートンに設
計させ、これが量産され世界中に出まわった。ド・デイ
オン・ブートン製エンジンは排気量211ccで約1.75psと


ダイムラーが1885年に造らせたマイバッハ
考案のエンジン(264ccにて0.5ps)より10年
を経ていたため小型軽量、高出力で、しかも
各種の排気量をもつエンジンが大量生産さ
れたことから、その後に世界中の各社2輪
4輪エンジンの基本となるほど優秀であった。
 それをド・デイオンは自転車の後輪部左右
に車輪をもつ「3輪」として、後部エンジン後
輪駆動にして発売、その優秀性からイギリ
スのアリエル社がライセンス生産するなどし
て普及、類似の3輪車もハンバー、ピースト
ンなど多く出現した。


明治時代に輸入されたサイクロネッテ
 ドイツではベンツ製に負けまいとユニークなレイアウ
トの三輪が1902年に出現した。ベルリンのサイクロン社
がライプチヒのショーに展示したもので、450cc単気筒
エンジンを前フォーク上部に載せた馬車型で横2座であ
った。1904年には「サイクロネッテ」と命名され量産化、
エンジンも2気筒1290ccの10psになり1920年代まで生産
が続けられた。サイクロネッテは明治の末に日本に輸入
され宮内省に献上されたといわれ、また京都の呉服問屋、
藤村が10台あまりを東京・銀座の東京店で使用したとい
われるが、関東大震災で焼失してしまって正確な確認は
できないで今日に至っている。


戦前の国産三輪自動車誕生期

 日本における3輪車の普及は1914年
(大正3)年に、エンジンと駆動輪を一体型
にしたアメリカ・ミルウォーキーの自動車
部品メーカーA.0.スミス社製のヒット作
「スミスモーターホイール」によって始まっ
た。東京・銀座2丁目のアンドリウス・ジョ
ージ商会が輸入、自転車の後側部に並
べて駆動力を得るという「取付けエンジン」
であった。これを1917年に大阪・西区の
中央貿易が大量輸入して、フロントカー型
の荷物運搬用自転車に装着し、名称も
「自動下駄」として発売した。
 また同様のものを大阪の 中島商会が
「ヤマータ号」として発売したともいわ
れるが、どちらが先かは定かでない。


いずれにしても商人の街である大阪で流行し、幸いにも
無免許で運転できたことから、三輪車が普及するきっかけ
を生んだのである。
 この頃から、海外の自動車を参考にした国産自動車や
2輪車の本格的な生産がされたが、なにもかも試行錯誤
のことばかりであり、輸入車よりも信頼性に乏しいもの
が多かった。


新規格、JAPエンジン三輪、続々誕生
 世界大恐慌の後だけに、世界各国の大衆
向け2輪車は価格の安いものが求められた。
4サイクル350〜500cc、2サイクルは200〜
250ccモデルが主力となった。
 イギリスからは新規格の三輪トラックにあ
わせ、エンジン単体での輸入がされた。特に
戦前期最大のエンジン供給メーカー、JAP
社製は国産3輪自動車のパイオニアとされる
ニューエラ(奔工社、東京)やアラビア(西浦
製作所、東京・神田)、M.S.A.(モーター商会
の略、東京・神田)、K.R.S.(山成商会、東京・
神田)、サクセス(大沢商会、京都・三条)、
ヤマータ(中島商会、大阪・西区)
ウェルビー(ウェルビー商会、大阪・東区)、コ
ンビンシブル(横山商会、神戸)など最も多く
のブランドに搭載された。
{注: 中島商会は当社(ナカジマ部品)の母体である。}



ニューエラの後片輪駆動

 そうした時代背景のなかで、全国産の小型
3輪トラックが続々と生み出された。輸入エン
ジンでスタートしたニューエラは、設計者の蒔
田鉄司が秀工社を日本自動車へ譲渡し、
東京・大森の日本自動車自転車工場にちな
んだ名の国産350cc JACエンジンを1928年
に完成して、2輪車にまず搭載、つぎに三輪
に使用した。チェーンによる後片輪駆動で、
積載量200kgを誇った国産三輪自動車がこう
して誕生。1930年には500ccに拡大した。」

メグロエンジンのHMC

1932年末には兵庫県神戸の兵庫モータース
から命名されたHMC号500ccが発表されたが、
エンジンは東京・大崎の目黒製作所で設計、
同系会社の昭和機槻製作所で量産されたも
のを搭載していた。
 こうした純国産三輪自動車、特にトラック
の普及は日本独自のものになった感があった。
このため1933年8月をもって小型自動車の
エンジン排気量が750ccまでに拡大された。
新鋭格を心待ちにしていたのはハーレーダビ
ツドソンで、輸入用三輪車を得意の750cc
V型2気筒に変えて高性能ぶりをアピールし
たのである。
 国産勢はニューエラが500cc12psから650
cc15psに馬力アップ、ツバサはようやく1932
年にシャフト駆動化したが製造会社は兵庫
県神戸市の日本エアブレーキが生産継続、
発動機製造は独立したダイハツ名を復活させ
て750ccHFを新発売した。


三樹書房刊小関和夫著「国産三輪自動車の記録」より転載


 三輪自動車の歴史(2)