自動車部品、用品、油脂、ケミカル用品、
大阪(福島・摂津・大東・豊中・八尾)部品商

企業情報 Company Information

会社の沿革

1940年
(昭和15年)
6月
木越 正 ナカジマヤ商会を創業

大正時代(1918年)よりヤマータ号自動三輪車の製造販売で一代を築いた中島商会(後に中島自動車工業株式会社と改称)社長 中島正一氏が昭和15年に死亡後解散となるが、中島自動車工業の部品部を木越正は昭和15年6月自動車部品の販売会社として「ナカジマヤ商会」を創業する。戦争が激化するとともに、木越 正の出征により会社は休業状態であったが、戦後木越 正の復員とともに操業を再開する。

1950年
(昭和25年)
2月
株式会社ナカジマヤ商会として法人組織に改組(資本金50万円)
1955年
(昭和30年)
4月
大阪市福島区福島南1丁目(現大阪市福島区福島1丁目)に福島営業所を開設
1963年
(昭和38年)
5月
商号をナカジマ部品株式会社に改める
1969年
(昭和44年)
4月
大阪府大東市太子田3丁目に大東支店を開設
1971年
(昭和46年)
4月
貿易部を開設
1974年
(昭和49年)
3月
創業者木越 正死去により、妻である木越千代子が代表取締役社長に就任
1977年
(昭和52年)
5月
大阪府摂津市一津屋3丁目に摂津営業所を開設
1980年
(昭和55年)
4月
大阪市旭区高殿7丁目に旭営業所を開設
1980年
(昭和55年)
6月
大阪市福島区福島3丁目にナカジマ部品本社社屋を新築
資本金3,300万円に増資
1982年
(昭和57年)
5月
摂津営業所を大阪府摂津市鳥飼上3丁目に移転し北大阪営業所に改称
1983年
(昭和58年)
6月
資本金4,560万円に増資
1986年
(昭和61年)
12月
大阪市福島区福島1丁目にナカジマ第2ビルを新築
1989年
(平成元年)
10月
旭営業所を守口市南寺方東通4丁目に移転し守口営業所に改称
1990年
(平成2年)
6月
創業50周年
木越正宣が代表取締役社長に就任
1999年
(平成11年)
6月
大阪府吹田市穂波町に江坂営業所を開設
2001年
(平成13年)
2月
大阪市西区新町1丁目に西営業所(出張所)を開設
2001年
(平成13年)
7月
ダルマ部品工業株式会社より営業を引き継ぐ
2002年
(平成14年)
9月
大阪市住之江区南港東3丁目に南港営業所(出張所)を開設
2003年
(平成15年)
12月
山重自動車工業株式会社より営業を引き継ぎ山重自動車部品株式会社(福島本社、八尾営業所)を設立
2004年
(平成16年)
9月
江坂営業所を豊中市穂積2丁目に移設し豊中営業所を開設
2006年
(平成18年)
6月
日本リンク株式会社(豊中)より営業を引き継ぐ
2008年
(平成20年)
9月
株式会社藤田商会の営業を引き継ぎ、株式会社藤田パーツを設立
2020年
(令和2年)
4月
株式会社藤田パーツを合併
2020年
(令和2年)
4月
守口営業所を大東支店に統合
2022年
(令和4年)
11月
木越健太が代表取締役社長に就任

ナカジマ部品の母体

戦前の国産三輪自動車誕生期

日本における3輪車の普及は1914年(大正3)年に、エンジンと駆動輪を一体型にしたアメリカ・ミルウオーキーの自動車部品メーカーA.O.スミス社製のヒット作「スミスモーターホィール」によって始まった。
東京銀座2丁目のアンドリウス・ジョージ商会が輸入、自転車の後側部に並べて駆動カを得るという「取付けエンジン」であった。
これを1917年に大阪・西区の中央貿易が大量輸入して、フロントカー型の荷物運搬用自転車に装着し、名称も「自動下駄」として発売した。また同様のものを大阪の中島商会が「ヤマータ号」として発売したともいわれるが、どちらが先かは定かでない。いずれにしても商人の街である大阪で流行し、幸いにも無免許で運転できたことから、三輪車が普及するきっかけを生んだのである。
※三樹書房刊小関和夫著「国産三輪自動車の記録」より引用

スミスモーターホイール付フロントカーの絵。1923年 スミスモーターホイール付フロントカー、日本に登場。

ヤマータ号自動三輪車製作所について

前段のとおり、中島商会が日本で自動三輪車を製作したのは1番または2番目といわれている。自動三輪車の先駆者として出発した中島商会(後に中島自動車工業株式会社と改称)は1918年(大正7年)に創業したが、1936年(昭和11年)の自動三輪車カタログには次のように記述している。
「ヤマータ号自動三輪車は本邦に於ける最古の経歴と多年の製作経験とを有する中島自動車工業株式会社の製作車にして弊社は創業以来実に拾有八年当時夢想だに及ばざりし昔時より小型自動三輪車の製作に着手し汎ゆる全世界の原動機を取付け是を完成するに至り年と共に改造に次ぐ改良を重ね時勢に順応したる優秀車を製作し今や本邦各地は無論海外までも進出し高級車として其真価を賞賛せられつゝあり」

カタログの写真。最も来るく最も新しい自動三輪車と書いてあり、自走三輪車の写真が右下にある。

中島自動車を母体として発足

このようにして三輪自動車の製造販売を続けてきた中島自動車工業ですが、戦時色の強くなる中、大正時代より三輪自動車の製造販売で一代を築いた中島氏の後を受けて、木越氏は自動車部品の販売会社として昭和15年6月「ナカジマヤ商会」を個人創業しました。
戦争が激化するとともに、木越氏も出征し会社は休業状態になりました。戦争中の中断を経て、木越先代社長の復員とともに戦後再開し、昭和25年2月15日に「株式会社ナカジマヤ商会」に改めました。
昭和38年5月には社名を「ナカジマ部品株式会社」と改め、以来60年間にわたり多くのお客様のご愛顧と、永年の先輩功労者諸兄のご尽力と、また金融関係をはじめ仕入先その他幾多の関係各位のご支援により、困難を乗り越え危機をきりぬけて今日まで事業を継続発展させ、頑張ってくることが出来ました。

昭和44年2月には、大東市に大東支店を開設し、事業拡大の礎をつくりました。
昭和46年2月には、貿易部を新設し、海外進出を図りました。以降昭和52年5月には摂津市一津屋に摂津営業所を、昭和55年4月には旭区に旭営業所(後に守口市へ移転し守口営業所となる)を開設、昭和57年5月には摂津市鳥飼上に北大阪営業所を開設し、さらなる事業の拡大を図りました。
昭和58年6月に増資し、資本金4560万円となりました。
平成元年10月には旭営業所を、守口市へ移転し、守口営業所に改称しました。
平成11年6月には吹田市に、江坂営業所(後の豊中営業所)を開設し現在に至っています。